荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし

TBSラジオでの荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビューを書き起こしました。


2015年02月17日(火)「曽野綾子氏のコラムが波紋、改めて考えるアパルトヘイト」(直撃モード) - 荻上チキ・Session-22

 

音声は上記ウェブサイトでPodcastで配信されています。インタビューはこの中のごく一部で、白戸圭一氏によるアパルトヘイト解説のほうが価値があるのですが、本日は時間がないため曽野氏へのインタビュー部分のみの書き起こしです。

 

口述を文章化する上で、あえて編集は極力しないようにしました。そのため読みづらいかと思いますが、実際のかみ合っていない空気感が伝わればと思います。

 

誤字がありましたら、コメント欄までどうぞ。

 

 

 

 

インタビュー(14:1131:45)

 

荻上チキ(以下、荻上)

評論家の荻上チキと申します。よろしくお願いいたします。

 

曽野綾子氏(以下、曽野)

どうも、今日はありがとうございます。

 

荻上

急遽インタビューの機会を作っていただいて、本当にありがとうございました。本日伺いに来たのは産経新聞に掲載したコラムに対して、複数の団体から抗議が来ていることもあり、そのコラム執筆の経緯や思い、それから抗議に対してどういうふうにお感じになっているのかということを伺いたいと思いまして参りました。

 

曽野

ここにいる二人ともものを書く仕事ですけれども、こういう風に読んでくださいと言うことは言えないの。ですから、どういうふうに取ってもこれは自由なんですけれども、私は前半は今労働移民が日本の都合で欲しいということもありますね。それから同時に東南アジアなんかの途上国なんかのまじめなお嬢さんたち娘さんたちなんかで働きに来た、あるいは日本行ってお金稼いでお母さんに家買いたいとか、そういうのがあります。その目的が合致したらぜひ来ていただきたい。

 

私、南アに行って、今日初めて数えてもらったんです、9回くらい用事で行ってるんです。そういうときに、限りあることですけれども、向こうの人がいろんなことをおっしゃるんです、外国人として私たちが行くと。その中からやっぱり難しさとかいろいろあるんだけれども、それが今のアメリカなんかの例えばリトルトーキョーですか、リトルトーキョーがどこにあるのか知らないんですけれどもサンフランシスコ?なんか小さくなってきちゃったって言いますね。なんとか私の友達なんかはそれを元の通りに華やかなものにしたい、そうすると一種の分離してそこで独自の生活を作っていく便利さっていうものがあるんですね。私にとっては食べモノなんですけどね。リトルトーキョーに行くと昔の、あなたなんか絶対ご存知ないことね、田舎に小さな餅菓子屋っていうものがあってね、そこに饅頭やお赤飯なんかが売っているで、買いに行けるというお店があると伺いました、私アメリカとか知らないんですけれども。だから便利いいんだ、と。

 

私ここのところずっと書いているんですけれども、私の夫はくさやのひものというのが好きなんですよ。もし私たち一家がヨハネスブルグに住んでて、どなたかがおみやげにくさやのひものを持って来て頂いたらね、やっぱり躍り上がって喜んで、きっと焼きたいんでしょうね夫は、するとここはちょっとそれをやったら大変だってなことになるくらいならね、アジア人地区に住みたい、ぜひとも。そういうのがあればですよ。もう、無いのだろうと思いますけれども。

 

だから、そういうところが私気楽でいいと思うのですよね。これをいちいちね、私の方が差別されるのを望むなんて、日本語で考えたことないです。自由でね。だからチェスのクラブがいろいろなところでジェントルマンたちがチェスのクラブをするとかね、女たちだけがよって友達の家の寝室でもってファッションのことをやるとか、別々でいいと思うんですよ。そのようなことなんですよ。

 

そういう形のね、これは差別じゃない、区別なんですよ、能力のね。だから差別と区別を一緒にしないで頂きたい。私は区別をし続ける。芸術家とか、芸術、文化、学問て言うのは区別のものですからね、区別が無かったらどうにもならないんですね。それは各々が別の種類の才能ですから、差別をする必要が無いものなんです。区別であってね。差別なんかしなくたって、荻上さんがお書きになるものは比べようがないんですね。そういうものなんです。どれが上でどれが下というものではないんです。その質の区別というのが私どうして悪いのか未だにわからない。それだけのことです。そういうものがある、ちょっと矛盾するものですね、これをどうしたら社会の方々のお知恵で合理点が見いだせるか、これをやっていただかないと働きに来てくださる方々も幸福にならないし、こちらも、ああ良かったな、家族の一員になって良かったなと思えない。そこのところを何卒お願いしますということです、はっきり言いまして。

 

荻上

その事をお書きになった後に、お書きになったのが「居住を共にするというのは至難の技だ」ということをお書きになって、南アフリカの実情を知った上で、居住区だけは白人、アジア人、黒人と分けてとお書きになった。これ、先ほどの話ですと自発的に集まってコミュニティを作るという話を想定されている。

 

 

曽野

そう、ですから自発的に日本人村というものがあればいいなと思うのですよ、私は。国がやるんじゃないんですね。だから、そこに行って集まって住むと、豆大福、それから何ですか、お赤飯売ってるわけ。そういうところに私は外国だったらね、日本だったら豆大福とお赤飯に執着しませんけど、やっぱり欲しいんじゃないかな、そうおっしゃる方の気持ちもわかるんですね。

 

荻上

そのときに、アパルトヘイトが行われていた南アフリカを例に出しつつ、迎える側の国民が居住区を分けて住む方が良いと主張することが、そうした政治的なメッセージとして捉えられないかと、今回抗議が来ていると思うのですけれども。

 

曽野

思いません、私は。だって、私はね、初めて南アフリカに入ったころ1992年らしいんですね。そうするとアパルトヘイトが実際に瓦解したというのは1994年くらいだと思うのですけれどもね、マンデラはその前に自由になっていましたし、私が初めて行った時にはここに入っちゃいけないだとか、歩いちゃいけないという一番の例はガンディー(英語?一部不明瞭)に出てくるダーバンですよね。ダーバンの白人地区を歩いていて、知らないんですよ、ガンディーをね。だからいいところだったんでしょうね。静かな散歩道歩いていたら捕まってぶん殴られるんでしたっけね、細かいこと覚えていないんですけれども。それがガンディーの活動の原初的な光景なんですよね。良くわかりますよ。そういうことは私全然言っていませんよ。アパルトヘイトが終わって、スタートしたときから私は居合わせたんですよ。

 

荻上

ということは国の政策としてであるとか、法律で区分けをするという主張ではないということですね。

 

曽野

そんなことだれが考えますか、この時代。ですから、今世界的にお前はここに行って住めというようなゲットーみたいな考え方って、私考えられないんですけれどもね。

 

荻上

そうした強制的な対応はむしろ反対だということですね

 

曽野

当たり前ですよ。そんなのどこがいいんですか。全然時代遅れっていうものじゃないかと思いますけれどもね。私、体験も無いし、不自由ですよ第一。

 

荻上

朝日新聞へのコメントだったと思うんですけれども、これは曽野さんのコメントです。「私はブログやツイッターとは関係ない世界で生きてきて、今回間違った情報に基づいて興奮していることを知りました」というようなことを・・・

 

曽野

それは、私書いておりません。ちょっと待ってください。どこでしょう、ごめんなさい(ページをめくる音)

 

荻上

これは文章で寄せられたというふうに朝日新聞が報じているものなんですけれども

 

曽野

あ、間違った情報というのは分かりました。あのね、安倍政権のアドヴァイザーって言う点です。これはっきりしていただきたい、全く間違いです。ですから、世界で有名な新聞っていうことろがこういう間違ったことをお書きになるときには訂正なさって頂くべきではないかと。

 

荻上

アドヴァイザーという立場では無いということですか。

 

曽野

全くありません。それはお調べになればすぐにわかることじゃないですか?

 

荻上

朝日新聞の記事にですね、その後のプロフィール欄に131月に安倍政権教育再生実行会議委員というふうに・・・

 

曽野

それはアドヴァイザーではないですね。

 

荻上

アドヴァイザーと訳するには不適切だと。

 

曽野

不適切ですね。個人的なアドヴァイザーじゃないんですもの。まったく違いますよ。

 

荻上

今回のコラムにはですね、複数の抗議文が届いたかと思うのですけれども、そうした中ではですねアフリカ日本協議会であるとか、南アフリカの大使の方からの抗議文だとか、アフリカについて研究している日本アフリカ学会の有志から抗議文が届いていますけれども、こちらはご存知ですか?

 

曽野

いえ、大使も、あの存じ上げておりません。

 

荻上

これは確か産経新聞宛てに届いた抗議だったかと

 

曽野

まだ、頂いておりません。大使館から頂いという大使ですね、私は何も差別なんか良いなんて書いていなくて、私は区別が必要っていうことなんです。ですけれども、大使に対してお返事をしないのは失礼だと思いました、外交上。だから産経に最初の返事を書いております。その通りなんです。

 

荻上

南アフリカの駐日大使の方ですね。

一方で、アメリカ日本協議会や有志の学者の方についてはまだ把握はしていないということですか?

 

曽野

あのね、まだ私の所には何も頂いていないのですけれども、撤回せよとおっしゃっているから、撤回は多分しないと思います。何を撤回するの?

 

荻上

となれば、例えば隣人として暮らす人いてもいいということは、これは当然認めるということですね。

 

曽野

当たり前、それだから面白いんですよ、実を言うと、人生というのはね。私たちも書くことがある。

 

荻上

だとするならば、今回はどう行ったり理由で抗議が来たと思いますか?

 

曽野

分かりません。まったくわかりません。だから推測でお答えできないんです。私はあのままなんですね。まあ不味い文章だと言われればそうかもしれないなということは言えますけれども、不味い文章というのは下手くそという意味でね、しまったことを書いたという意味ではないです。

 

荻上

思想的には言われているようなことに該当しないと。

 

曽野

はい、あの区別で、差別をしなさいなんて全然言っていないんです。

 

荻上

日常の中のそうした配慮を区別とおっしゃっていると。

 

曽野

日常の穏やかなにね、そして相手の立場を持って大人げを持って認めると言うのが私は良いと思っていますよ。

 

荻上

曽野さんは僕にとっては物書きの大先輩でもあるのでご存知だと思うのですけれども、差別と区別が違うと言ったときに、こうしたフレーズを実は差別者の側が意図的にというか狡猾に使うような場合もあってしまうわけですよね。

 

曽野

だそうですね。解説していただきました。でも、私は私の言葉の使い方をし続けるだろうと思います。しょうがない、今ここで区別が差別になって、差別が区別になったって言われても私の文学が成り立たない。ですから私が死ぬのを待って頂きたい。

 

荻上

そのときの区別の内実を多くの方は知りたいと思うんですね。つまり確認したいのはアパルトヘイトのように人為的に区分けをして例えばそれを超えてきた人を・・・

 

曽野

それはもうなくなっちゃっている。問題外なんです。私のような老人ですらその国に入った時にほとんど瓦解してたんです。法的にはあと2年間続いたそうですけれども、もう瓦解していたんです。そんなものが良くて、トイレも別だとか、ガンディーのように通りもあるいてもいけないなんて私見たことも無いんですね。

 

荻上

そういうものは日本でも導入すべきではないと。

 

曽野

それそういう人がいたら、私わからないですね、想像できない。

 

荻上

ネットの反応ではですね、そうした趣旨として理解したうえでその曽野さんの意見に賛同している方もいるわけです。

 

曽野

まあ、いろいろいらっしゃるでしょうけどね。私はそれほど個性豊かな人ではありません。

 

荻上

仮に今手元に抗議文二つあるのですけれども、これをお渡ししても読むことはできないでしょうか。

 

曽野

まあ、それぐらいなら拝見します。

 

荻上

では、読んだ上で今感想頂く事ってできますか?

こちらがアフリカ日本協議会のもので、こちらが長いんですけれども日本アフリカ学会の有志一同ということで合計4枚。やはり、その物書きの話に少し戻りますと、例えば自分自身が込めた意図というものが文章にうまく反映されなかった、あるいは意図とは違う読まれ方を多くの方にされるケースというのは当然ありますよね。今回例えば南アフリカ2030年前の例を出して居住区は分けるべきだと言う書き方が、アパルトヘイトを・・・

 

曽野

2030年前かどうかは分かりません。

 

荻上

20~30年前という曽野さんがお書きに・・・

 

曽野

ええ、でも今もあるかも知れません。無いかも知れませんし、あるかも知れません。

 

荻上

はい、そうしたことを出すと恐らく少なからずの数の読者の人がアパルトヘイトの時代を出して居住区を分けると主張しているというふうに取るわけですね。

 

曽野

しょうがない。ごめんなさいって、そこは謝るべきかどうかわかりません。

 

荻上

だから、思想的にはそうした趣旨では無いから、その思想に関しては訂正する必要が無いとお感じになっているという形ですけれども、例えば真意であるとか、自分の意図はより正確にはこうなんだと今回こうやって口頭してくださっていることで・・・

 

曽野

あの、落ち着いたら書きましょう。ゆっくりね。23ヶ月だか、23年かはわかりませんけれども。そしたら書きましょう。今みたいに皆様がね、かっかしているときには私書くべきではないと思います。

 

荻上

改めて曽野さんが考えるアパルトヘイトの問題点はどういった点だったと思いますか?

 

曽野

全く分からないんです、見たことない、私。私が南アに行った時にはもう全然くずれていました。だからここは白人した歩いちゃいけない町なんかは無かったですよ。

 

荻上

私たちも文献などでしか知ることができないものもたくさんあるのですけれども

 

曽野

昔ははっきりあったようですけれども。だから何べん聞かれても分からない、私見たこともないし。だからそれがいいことだとは思いませんね。ただ、日本人が日本人らしく集まってしゃべったり同郷のものを食べたりするのは悪いと思わないんですよ。だから居住区を分けたっていいと思いますよ。ですからこういうところでも商業地と住宅地ってあるんですよ。住宅地でも商業地みたいなことやっている人もいるんだけど、一応線引きっていうのがあって誰も怒っていないでしょ?そいういうことですよ。

 

荻上

大家族主義の黒人が来たから白人が逃げ出したという説明になってしまうと

 

曽野

違います、水って書いてあります。

 

荻上

そうですね、水を理由としているんですが、その水の話を黒人と白人分けて議論している。

 

曽野

そうです。それが現実はそうだと説明されました。

 

荻上

ただし、その説明が間違っていた可能性もあって、黒人だから大家族主義だからというとそうではないですよね?

 

曽野

いえ違います。現実はだいぶ黒人の方が多いです。

 

荻上

当時の南アフリカの話と、今日本人読者に向けた黒人の話はまた別で・・・

 

曽野

ではそしたら私は無限に黒人の中のこういう人はってやっていかなきゃならないんですか? そうは思わないですよ。

 

荻上

でもそれを黒人というビッグワードで括ると、それが・・・

 

曽野

じゃあ、なんて言えばいいんですか?

 

荻上

例えばその当時の説明を受けたことを何故そのまま書かなくてはいけないかってことになるんですけれども

 

曽野

だって書いていいじゃないですか。私は旅行した中で聞いた話を書くんです。だから聞いた話以上には書いていないですよ。

 

荻上

そうですね、そのときに「黒人だから」とその人は話していたが「貧困だから」あるい

 

曽野

でも、なんで。黒人が大家族主義なんです。

 

荻上

いやあの(苦笑)、「黒人が」というのは例えば黒人ってニューヨークにも住んでいるし、他の様々な地域にいて核家族化している方もいる。

 

曽野

大体そうなんです。イエローとかホワイトとか言うよりも愛情があるんですよ。だから全部家族呼んじゃいます。私たちは見習うべきところがたくさんあります。

 

荻上

日本人も昔は大家族主義だったんですね。でも環境が変わって変わりましたよね。

最後に一点だけ確認なんですけれども、これらに、つまりアフリカ日本協議会や他の方から届いたこちら置いておきますが、これらについて返答する予定は無いということですか?

 

曽野

あの、強いてすれば、私は撤回するつもりはございません。

 

荻上

追加は時期が来たらいずれ書くということですか?

 

曽野

それもあなたにお約束できない。

 

荻上

もちろんそうです。

 

曽野

書く気になったら、その時私別の恋愛小説書いているかも知れませんし。書く気になりましたら、私、割と運命主義者なんです、自分を律して自分はこういう人間ですって言ったこと無いんです。間違ったこともするし、その時々で心が変わる人間ですから、でもどうしてもこれを覚えておいてね。書きたいと思ったら、その時静かに書かせていただきます。それだけのことです。